要約

  • 安倍晋三氏は2012年12月26日に首相に就任し、日本経済再生本部と産業競争力会議を設置して成長戦略の検討を進めた。
  • アベノミクスの「第三の矢」は、2013年6月14日の『日本再興戦略 ― JAPAN is BACK』として具体化された。同戦略は、コーポレートガバナンス改革を日本企業の競争力と生産性を高める政策に組み込んだ。
  • この方針を起点に、2014年のスチュワードシップ・コードと伊藤レポート、会社法改正、2015年のコーポレートガバナンス・コードが相次いで実現した。

2012年12月の政治状況

2012年12月の総選挙で自民党が政権に復帰し、安倍晋三氏は二度目の首相に就任した。政権には、衆議院での安定した議席、積極的な金融緩和に転じる日本銀行、従来の段階的な政策では日本経済を立て直せないという明確な問題意識があった。

この経済政策は、後にアベノミクスと呼ばれた。金融政策、財政政策、成長戦略を、毛利元就の故事になぞらえて「三本の矢」として示したものである。

三本の矢の役割は、次のように整理できる。

矢 内容 主管機関
第一:大胆な金融政策 2%物価目標;量的・質的金融緩和;資産買入れ拡大 日本銀行(黒田)
第二:機動的な財政政策 補正予算;緊急経済対策 財務省
第三:成長戦略(構造改革) 労働市場の規制緩和;特区;コーポレートガバナンス;農業改革;TPP参加 内閣府/日本経済再生本部

第一・第二の矢が主に需要を支える政策だったのに対し、第三の矢は供給力や生産性を高める構造改革である。その中にコーポレートガバナンスが明記されたことで、企業統治は法務や不祥事防止だけの論点ではなく、日本経済の成長力に関わる政策課題となった。

2013年6月14日『日本再興戦略』

『日本再興戦略 ― JAPAN is BACK』は2013年6月14日に閣議決定された。本文に加え、成果指標と工程を示す資料が用意され、政策ごとに担当省庁と期限が置かれた。実質的な検討を担ったのは、首相を議長とし、閣僚と民間議員が参加する産業競争力会議である。

ガバナンス改革に関して、同戦略が示した主な方針は次の四点である。

  1. 日本版スチュワードシップ・コードを2013年内に取りまとめること。 所管は金融庁とされ、閣議決定から約6か月という短い期限が置かれた。
  2. 会社法を改正し、社外取締役を選任しない上場会社に理由の説明を求めること。 法律上の「説明義務」によって、社外取締役を置かない判断を市場の検証にさらす考え方である。
  3. 企業と投資家の望ましい関係を検討すること。 経済産業省のプロジェクトとして進み、2014年8月の伊藤レポートにつながった。
  4. コーポレートガバナンス・コードを策定すること。 具体的な方針と期限は、2014年6月の改訂版『日本再興戦略』で明確になった。

制度設計では、英国の経験が参考にされた。英国では2010年にスチュワードシップ・コードが導入され、2012年のケイ・レビューは、機関投資家が企業の長期的な価値創造に責任を持つべきだと提言していた。日本は、この原則主義とコンプライ・オア・エクスプレインの考え方を、自国の市場構造に合わせて取り入れた。

「機関投資家が、対話等を通じて企業の中長期的な成長を促進することにより、その受託者責任を果たすための諸原則…」 ― 『日本再興戦略』における日本版スチュワードシップ・コードの記述

なぜガバナンスを「成長政策」と位置づけたのか

それまでコーポレートガバナンスは、主として会社法を所管する法務省や、金融商品取引法を所管する金融庁の領域と考えられていた。安倍政権は、これを金融・財政政策と並ぶ成長戦略の一部として扱った。背景には、二つの考え方があった。

第一に、資本効率の改善は経済全体の生産性を高めるという考え方である。 日本企業が海外企業より低い収益率で多額の資本を保有しているなら、資本配分を改善する余地は大きい。McKinseyが示した日本のROIC約8%、米国約21%、欧州約15%という比較は、企業統治と資本配分の改善が経済成長につながり得ることを端的に示した。

第二に、企業だけでなく投資家の行動も変える必要があるという考え方である。 法律を改正しても、株主が経営陣と対話し、資本配分や取締役会の実効性を問い続けなければ、企業行動は変わりにくい。英国のスチュワードシップ・コードは、機関投資家の対話を受託者責任の一部として位置づける制度例を提供した。

この二つを組み合わせると、ガバナンス改革は会社法の技術論ではなく、企業の生産性と競争力を高める政策になる。だからこそ、担当省庁だけに委ねず、首相官邸が期限と方向性を示す案件として扱われた。

コラム ― なぜ産業競争力会議が中心になったのか。 産業競争力会議には、閣僚に加えて企業経営者や有識者が参加した。ガバナンス改革を金融規制の一分野ではなく、産業競争力を高める政策として議論できる場だったことが重要である。ここで方向性を示し、金融庁、経済産業省、法務省、東証がそれぞれの制度に落とし込む形が取られた。

6か月から18か月の短期決戦

『日本再興戦略』が示した期限は、日本の制度改革としてはきわめて短かった。主な動きは次のとおりである。

  • 2013年8月 ―― 金融庁が「日本版スチュワードシップ・コードに関する有識者検討会」を設置。座長は神作裕之氏。委員17名には、運用会社、アセットオーナー、議決権行使助言会社、関係省庁、東証などの関係者が参加した。
  • 2013年8月~2014年2月 ―― 検討会を6回開催。パブリックコメントには日本語26件、英語19件の意見が寄せられた。
  • 2014年2月26日 ―― 日本版スチュワードシップ・コードを確定。
  • 2014年5月30日 ―― GPIFが同コードの受入れを表明。
  • 2014年6月 ―― 改正会社法が成立し、社外取締役を置かない一定の会社に理由の説明を求める仕組みを導入。
  • 2014年6月24日 ―― 改訂版『日本再興戦略』を閣議決定し、コーポレートガバナンス・コードをコンプライ・オア・エクスプレインで策定する方針を明記。
  • 2014年8月6日 ―― 経済産業省が伊藤レポートを公表し、「最低限8%を上回るROE」を提示。
  • 2015年3月 ―― 金融庁・東証の有識者会議がコーポレートガバナンス・コード原案を公表。
  • 2015年6月1日 ―― コーポレートガバナンス・コードの適用を開始。

約18か月の間に、投資家向けの行動原則、上場会社向けの行動原則、社外取締役をめぐる会社法上の説明義務がそろった。2001年の監査役制度改革や2002年の委員会等設置会社の導入が数年にわたる検討を要したことと比べても、異例の速さである。閣議決定が担当機関と期限を明示したことが、この速度を支えた。

2013年の戦略に含まれなかった論点

『日本再興戦略』は改革の方向を示したが、現在の制度をすべて盛り込んでいたわけではない。後の改革につながる主な未着手事項は、次のとおりである。

  • 独立社外取締役の人数基準。 当時求めたのは、社外取締役を置かない場合の理由説明である。独立性や複数選任の具体的な水準は、2015年のコードと2018年・2021年の改訂で強化された。
  • 流通株式比率。 市場区分と株主構成を結びつける改革は、2022年のプライム・スタンダード・グロース再編まで待つことになる。
  • 資本コストの開示。 伊藤レポートが問題意識を示し、2018年のコード改訂が資本コストを明記し、2023年3月の東証要請が継続的な分析・開示・実行へと具体化した。
  • 英文開示。 プライム市場の重要情報に関する日英同時開示は、2025年4月に義務化された。
  • サステナビリティ開示。 2020年のスチュワードシップ・コード改訂、2021年のコーポレートガバナンス・コード改訂、SSBJ基準へと段階的に整備された。

後の制度はそれぞれ別の文書として成立したが、企業統治を成長政策として扱う基本的な考え方は、2013年の『日本再興戦略』を引き継いでいる。

『日本再興戦略』が残したもの

『日本再興戦略』自身がコードの条文を書いたわけではなく、ROEの数値基準を決めたわけでもない。その役割は、コーポレートガバナンスを日本経済の成長課題と位置づけ、関係機関に具体化を求め、期限を示したことにある。

日本企業の生産性と競争力を高めるには、資本配分と企業統治を変える必要がある。金融庁、東証、経済産業省、法務省はそれぞれの制度を通じて改革を進める。この方針が閣議決定として示されたことで、その後のコード、指針、開示制度が一つの流れとして動き始めた。

IR担当が押さえるべき含意

  1. 改革の起点を説明するときは、2013年6月14日を押さえる。 海外投資家に「なぜ日本の改革は2014年前後から加速したのか」と聞かれたとき、『日本再興戦略』が最も簡潔な答えになる。
  2. ガバナンスを成長戦略として説明する。 取締役会構成や開示の充実は、形式的な制度対応ではなく、資本配分、生産性、企業価値の向上につなげる取組みとして位置づける。
  3. 所管機関を正確に把握する。 スチュワードシップ・コードは金融庁、コーポレートガバナンス・コードは金融庁・東証、伊藤レポートや企業統治の実務指針は経済産業省、会社法は法務省、上場規程は東証、サステナビリティ開示基準はSSBJが担う。
  4. 自社の対応を制度改正の時系列に重ねる。 独立社外取締役の初選任、資本コスト開示の開始、スキル・マトリックスの公表など、自社がいつ何を変えたかを整理すると、投資家との対話で改革の進捗を説明しやすい。
  5. 審議会や政府方針を先行指標として読む。 大きな方向性が政府文書で示され、コードや指針で具体化され、開示を通じて定着するという流れは、現在の改革でも繰り返されている。

出典・参考資料


本テーマの前の記事:1.2 メインバンク後の空白を、誰が埋めたのか

本テーマの次の記事:1.4 投資家側を変えたスチュワードシップ・コード(2014/2017/2020/2025年)

他テーマの関連記事: